その翌日。
サイファーのプレゼンが行われるはずだった旧カナダ地区のRNA駐屯地に異変が起こった。
プレゼンに供される3機のサイファーのうち1機が突如暴走、無人で起動した後周囲に向かって無差別に発砲を始めた。
暴走するサイファーを止めるため、急遽VR隊が出動しようとしたが、なんと駐屯地にあるアファームドやi-ドルカスの約半分までがサイファーに呼応するかのように暴走を始め、駐屯地は壮絶な同士討ちの場となった。
そして、暴走するVRたちの体は、次第に黒く染まっていった…。
「ここも危険です教授!急いでこちらから避難を!」
兵士達に連れられて非常用通路を走るアイザーマンは、このあまりといえばあまりな展開に頭を痛めていた。
…まさか、この大事な時に「シャドウ」が現れるとは…!
「シャドウ」とは、VRに憑依する負の精神体を指す言葉である。これが憑依したVRは体色を黒く変化させ、破壊の限りを尽くす。また周囲への精神汚染効果もあり、無防備な人間、そしてVRは近づくだけでも命取りになる。
今のところどういった要因・条件でシャドウが出現するかは明らかにされておらず、VRを用いる企業や軍はこのシャドウの存在に頭を痛めていた。
「…これではまるで、我がプラントが意図的に破壊工作をしているようじゃないかッッ!!」
走りながら、呪詛の言葉とともに通路脇の消火器を蹴りつける。アイザーマンの足に鈍い痛みが走ったが、床にしっかりと固定された消火器は音を立てただけでびくともしなかった。
ちらりと脇を見やると、暴走騒ぎの中で負傷して気を失ったミハイルが兵士に担がれているのが見えた。この若者は、目を覚ました時にどういう顔をするだろうか。
非常口のサインが、やけに遠く感じた。
同時刻。
サイファー2号機のテストパイロット、バーナード・ロウマンは、どうにかシャドウの汚染を免れていた2号機に乗り、3号機とともにシャドウ化した1号機を制止しようとした。
だが無人の1号機は、常識では考えられないような機動で二機の攻撃を回避すると、そのまま2機を振り切ってフルスロットルで空の彼方へと消えていった。
「野郎、逃がすか!」
バーナードもフルスロットルに叩き込み、ついでリミッターを解除。肉体を破壊しそうなGで機体が爆発的に加速する。
だが、レーダーディスプレイ上で1号機を示す輝点は、距離が縮まるどころかどんどん離れていき、ついにはレンジ外に出て見えなくなってしまう。バーナードは追跡を断念、スロットルを緩める。
「クソ…!全然追いつきゃしねぇ!!カタログスペック以上の機体性能を叩きだしやがるのか、シャドウって奴は!!」
「全くだ、話になりゃしない」
3号機のパイロット、アフマドが通信を入れてきた。彼のサイファーは2号機と並行するように飛んでいたが、やはりシャドウ化した1号機には全く追いつけなかった。
「だが、どのみち僕達にはどうしようもない。戦ったところで勝てる気がしなかったよ。奴は…人間じゃない」
「ああ…クソッタレ!」
バーナードはコンソールを力いっぱい叩き付けた。なんなんだあいつは。理不尽だ!
屈辱に打ちひしがれるバーナードの耳に、「ひとまず、駐屯地の連中の援護に入ろう」というアフマドの声が空しく響いていた。
その頃フェイは一人、フェンスの外でジェームス達とバイパーを見つめていた。
匠とジェームスは、あの後結局ジーラの申し出を受け入れた。その内容は「匠達が今まで実験した内容と結果をできるだけ詳しく教える。加えてこれからの調査結果は他人には決して教えない。その代わり、フェンスを越えてバイパーに直接触れることを手助けする」というものだった。
ジーラという人物が何を考えているのか、フェイにはよくわからなかった。おそらく匠達も大して理解しているわけではないだろう。正直得体の知れない…というよりは、うかつに心を許すべきではない危険な人物のように思えてならなかった。なぜか、奇妙な既視感のようなものも同時に感じていたが。
「…ったく、あっさりと悪魔と契約しちゃって…」
ぼやきながら、フェイは彼らを見守っていた。匠達の気持ちもわからなくもない。本音を言えば、自分も彼らと一緒にバイパーの近くに行きたかったというのもある。だがジーラがなぜかあまりにも信用できなかった…というよりは、心の奥底で猛烈に反発する何かがあったと言うべきだろうか…ことと、加えてもう一つ。
フェイは、ここに来て、ごく微かにではあるが「影」の気配を感じ始めていたのである。そしてその「影」は、おそらくここに向かってくるであろうことを知っていた。
バイパーの「魂」を狙って。
…やっぱり、連中との戦いは避けられないってわけネ。
もうちょっと、お兄様たちとここでこうしていたかったんだけどなぁ…。
「影」との戦いになれば、フェイはその本当の姿―VRの姿を彼らの前に晒さざるを得ないだろう。そうなってしまったら、もう彼らと一緒には居られない。彼女は再び、孤独に戻ってしまう。
「最後まで見ていたかったけど…残念ネ…」
フェイは空を見上げた。別れのカウントダウンは始まってしまっている。
「コクピットの中は、もう完全に空にされてるな!」
コクピットハッチから身を乗り出したジェームスが、匠に向かって叫んだ。バイパーの足元でジーラとともに待機していた匠は、胸元から顔を出したジェームスに叫び返す。
「やっぱ、この辺が立ち入り禁止にされた時に外して持ち出されちまったのかな!?」
「多分そうじゃねぇのかな?コンソールからディスプレイからシートにいたるまで、何にもない。こいつをVRとして操縦するのは多分無理だ!」
「コンピュータには、作戦情報や戦闘データなど、外に漏れるとよくないデータがあるからな。そういったものを回収するのと第三者がVRを使えないようにするために、わざわざコクピットの機材を持ち出したというわけだ」
ジーラが淡々と言った。彼女はそう言いながら、手元で何か別の機材を組み立てている。ラップトップコンピュータに何本かのコードが付いたような機械だ。
簡単に動作を確認してから、ジェームスに向かって叫ぶ。
「ジェームス君!37番のバスコネクタを探してくれ!コクピット正面、赤い縁取りがされているやつだ!」
「了解!」
「私も今からそっちに行く!」
ジーラは驚くほど身軽な動きでバイパーの体を伝い、狭いコクピットの中に滑り込む。
しばらくコクピットの中から聞こえてくるジェームスたちの声を聞いていた匠だったが、やがて意識を外に向け、すぐ傍らのバイパーの顔を見上げる。
首の辺りに、相変わらず鳥がいた。頭の向こうの木立の奥に、よく晴れ渡った青空が見える。
今はバイパーのセンサーは光らず、まるで眠っているように思えた。
…こいつは、どんな夢を見ているんだろうな。
「お前は、コクピットの中を空にされちまってもう操縦できないらしいけど…」
匠はバイパーの装甲に手を触れ、語りかけた。
「また、空を飛んでみたいとは思わないか?」
空を見上げると、親鳥がえさをくわえて戻ってきたところだった。
雛たちは親から与えられた餌を、鳴き声を上げながらついばむ。
「あいつらは、まだ空を飛べないけど…初めて飛んでみた時、どう感じるんだろうな。
…俺もできることなら空を飛んでみたい。何にも縛られずに、この空を飛び回ってみたい。そうすれば、何かが見えるような気がするんだよな…。夢も何も持っていない俺がこの先頑張って生きて行けるような、うまく言えない何かが…」
多分俺は、「本当の自由」というやつを一度体験してみたいのかもしれないな、と匠は思った。今までの束縛だらけの人生で、自分がどう生きて行きたいのかを見失いつつあった。ただそんな中で、空の広さやバイパーの翼が、自分の目にやけに鮮明に写っていた。
そして、OMGの時に感じた飛翔感。
閉塞感を打ち破る鍵は、その辺りにあるのは間違いないと匠は思っていた。だからバイパーには目覚めて欲しかったのだ。そしてできることなら…。
「もしお前に本当に魂があるのなら、俺に話を聞かせて欲しいんだ。お前の話や空の話を…」
その時センサーアイが微かに瞬いたのに、誰も気が付いた者はいなかった。
バイパーは夢を見ていた。
命を失い、VRと一体化した「彼=バイパー」は、戦いの日々から開放され、森の中で静かに佇む夢を見ていた。
その夢の中では、鳥達が周りに集い、風が吹くと木立が揺れ、空を見上げると雲が流れていった。その一つ一つが美しく、そして優しかった。
バイパーは幸福感に包まれていた。今までの戦いの中では、自分が生き残ること、ただそれだけを考えるのに精一杯だったのだ。世界がこんなに美しいなんて感じている余裕はほとんどなかった。
ただ、空を飛翔しているときだけは、違っていた。
上空3000メートルの空は、それより上にはほとんど雲がない。ただひたすらに透明な青空がどこまでも続いていくのだ。モニター越しとはいえ、その美しさは一瞬任務を忘れてしまう程だったのを覚えている。
あの時だけは、世界が美しいと思った。
だが、限定戦争の兵士である自分は限定戦争の世界から出て生きることを許されていなかった。この美しい世界のほんの片隅でしか、生きていくことができなかったのだ。それがたまらなく悔しかった。
止むに止まれぬ事情があったとはいえ、限定戦争の兵士に身を落としてしまったことを何度も後悔した。
だが、それももう終わった。
今の自分は、もう体を動かすこともできない。ただセンサー系統を通じて、外界のことを辛うじて知ることができるだけの存在でしかない。でも、それで十分だとバイパーは思っていた。
このままゆっくりと美しい夢の中で生きて行けるのなら、十分幸せだったから。
『また、空を飛んでみたいとは思わないか?』
ふいに、意識の中に声が滑り込んできた。この声は…。
『あいつらは、まだ空を飛べないけど…初めて飛んでみた時、どう感じるんだろうな。
…俺もできることなら空を飛んでみたい。何にも縛られずに、この空を飛び回ってみたい。そうすれば、何かが見えるような気がするんだよな…』
君は…。君も、空を…?
『もしお前に本当に魂があるのなら、俺に話を聞かせて欲しいんだ。お前の話や空の話を…』
空の…話…。
でも僕には、もう何も…。
バイパーの意識に、『悲鳴』が聞こえてきたのはその時だった。
何かがものすごい勢いで接近してくる。しかもそれは、通過点にある「魂」を根こそぎ踏み潰すかのように、汚染し、破壊している。
バイパーにはすぐにわかった。この悲鳴は「世界が上げる断末魔」なのだと。
次の瞬間、バイパーは我知らず思った。
もう一度だけ飛びたいと。
そして、大好きな世界を守る力が欲しいと。
フェイは、「影」が凄まじいスピードで向かってくるのを感じていた。おそらく今からでは逃げる暇もないだろう。
だが、それと同時に、バイパーから強い波動が放たれるのも感じた。
「…バイパー?キミ、まさか…戦う気なの?」
振り向いたフェイの目には、全身のセンサーから強い光を放つバイパーの姿があった。
コクピットの中でコンピュータを機体中枢に接続していたジェームスは、突然バイパーの機体からうなるような音が響いてきたことに仰天した。
「な、何だ!?何かオレ、まずいことでもしたか?」
「いや、これはバイパーの意思のようだよ」
ジーラが落ち着いた声で言う。彼女はジェームスが持つラップトップの画面を覗き込んだ。
「見てみたまえ。彼が初めて、言葉を発している」
ジェームスがあわてて画面を見ると、そこには確かに短いメッセージが表示されていた。
『僕は、守りたい』と。
匠は突然全身のセンサーを輝かせ始めたバイパーを、ただ呆然として見守っていた。
時々微かに瞬く程度の今までの様子とは、明らかに違っていた。何が起こっているのかは全くわからなかったが、ただなんとなく「バイパーが何かをしたがっている」のだとは感じていた。
だが、一体自分には何ができる…?
そうこうしているうちに、胸元から顔を出したジーラが匠に向かって叫んだ。
「この辺りで一番近い、バーチャロンを設置したゲームセンターを知らないか!?」
「バーチャロンですか!?」
脈絡の感じられない問いに目を白黒させていると、ジーラが珍しく早口で答える。
「時間がないんだ!フェイにはわかると思うが、今まさにここに向かって脅威が迫っている!」
脅威…!?フェイ?どういうことだ?
わけもわからずにフェイを見ると、彼女はなぜか苦しそうな表情で目をそむけた。ジーラは彼らに構わず続ける。
「それはかなり深刻な脅威で、その周りにあるものを無差別に破壊してしまう程のものだ。この街に到達されたら、街そのものが壊滅しかねない!
だがこのバイパーは、我々や周りのものをそれから守りたがっているらしい。しかし今の状態ではコクピットから操縦することはできない。そして、MSBSを用いるシステム上、操縦者無しでは十分な機体ポテンシャルを発揮できない。
そうなれば、取るべき手段は一つしかない!」
「まさか…!」
匠は息を呑んだ。その手段のことは、彼自身よく知っていた。
「そう、OMGの時と同様に、ゲームセンターから遠隔操作するんだ。このバイパーを!」
そして、バイパーから飛び降りながら、フェイに向かって叫ぶ。
「そしてフェイ、君にも力を貸して欲しい!」
匠やジェームス、フェイに矢継ぎ早に指示を送りながら、ジーラはその意識に直接送り込まれてきたメッセージに答えていた。
『シャドウが接近しているのはこちらでも捉えた。どうやらバイパーと引かれあっているらしいね』
――こちらはどうにか脱出に成功しました。ミハイルは重傷ですが、若いのですぐに回復するでしょう。
頭の中に、やや年輪を重ねたと思しき男の声が響く。
――しかし、シャドウの出現は想定外でした。おまけにプレゼン用のサイファーに憑依されるとは。
『だが、残りのサイファーによって駐屯地のシャドウを撃退できたのだろう?サイファーの力はそれで十分に伝わっている。予定とは異なったが、プレゼンとしては十分だ。
それに、こちらの方も非常に面白いことになっている。どうやらこのバイパーは想像以上の代物みたいだ』
――危険ではないですか?シャドウはすぐに、そこに到着しますよ?
男の声に焦りを帯びた響きが混ざる。だが、ジーラはそれを意に介さなかった。
『シャドウごときに殺されるような私ではないよ。それはお前が一番よく知っているはずだ。それに…私が本当に、気が遠くなるほどの間待ち望んだものが、この先で見られるかもしれないんだ。そのチャンスを逃すわけには行かない。
幸いにして、MSBS Ver.3が使えるところが近くにある。しかもパイロットはOMGを生き残ったバーチャロンポジティブ値の持ち主だ。おまけに、今この場にはオリジナル・フェイ・イェンまでいる。これだけ手駒があって、負ける要素などあるか?』
――なるほど、確かに強力な…。では、後はお任せしますよ、教授。
『気をつけて帰れよ、アイザーマン』
通信が切れる気配。意識の一部が再び現実空間に戻ってくる。
ジーラは、久しぶりに気持ちが昂ぶってくるのを感じた。この先には間違いなく、天文学的な確率でしか巡りあえない「何か」がある。
そして偶然とはいえ、ここにはあまりにも興味深いファクターが集まってきている。バイパー、シャドウ、OMGを生き抜いた少年達、そして…。
「…姉さん…」
決して神というものを信じないジーラだったが、今回ばかりは運命の女神というものの存在を信じてみたくなっていた。
そして、彼らを利用することで、気が遠くなるほどの間待ち望んだ「目的の達成」に近づくことができるということを信じて疑わなかった。
<続く>