−幻の翼・第一章「白いバイパー」−


 教室の窓から見える空に、うまく言葉にできない憧れを、ずっと抱いていた。
 はっきりとした像を結ばず、漠然としたままの自分の未来にかすかな不安を感じていた。将来なんの役に立つのかもわからないままこの狭い教室に閉じ込められ、退屈な授業を受けさせられる毎日がたまらなくイヤだった。
 自分がなぜここにいるのか、わからない毎日。
 ほんの僅かずつ、確実に心が腐っていくような毎日。
 自分が自分でなくなりそうな、そんな不安がいつも心を苛んでいた。
 今すぐに、ここから飛び出したい。
 自分を縛り付けるものを全部断ち切って、早く自由になりたい。

 「翼が欲しい」と、空を見ながら彼は思った。
 この何もない、広大な空間に飛び出していける翼が欲しい、と。


 同時刻。
 敵機ベルグドルのミサイルを受けて主武装レブナント(実弾・ビーム弾を連射でき、ビームソード形成機能もあるマルチランチャー)を破壊された時、彼は死を覚悟した。
 もはや自陣へ帰還できるだけのエネルギー残量もなく、武器を破壊されたため包囲網突破も絶望。絶体絶命の状況の中、彼はせめて自分が掴んだ情報を味方に伝えることを考えた。
 被弾覚悟の大ジャンプ。背中のウイングバインダーが、過剰な放熱に悲鳴をあげる。
 同時に残ったエネルギー全てを通信装置につぎ込み、はるか遠くの自陣へと、自らが得た情報を大出力の電波に乗せて解き放つ。
 送信の余波を食らい、火花を上げながら弾け飛んでいくモニター群。
 ブラックアウトする寸前のHUDが最後に映し出した映像は、徐々に大きくなるミサイルのシルエットだった。

 衝撃。



 相澤匠は眠い目をこすりながら、本日最後の授業に臨むべくワークステーション端末室へと移動していた。
 季節は初冬。外はいいかげん寒くなってきたが、部屋の中は空調が利き、おまけに窓際の席ともなれば暖かい日差しも差し込んでくる。退屈な授業中にこんな条件が重なれば、誰だって少しは眠くもなるというものだろう。
 匠の座席はまさにその条件を満たしていた。
 おかげで居眠りを見咎めた講師にこってりと絞られる羽目になった。しかしながら、寝ぼけた頭を講師の小言が右から左へと通り抜けただけで、何を言ったかすら覚えていない。ただ気持ちのいい眠りを邪魔されたという不快感だけが燻り、なんとなく不機嫌なまま今に至っている。
「しっかし、本当によく寝てやがったなぁ」
 横を歩く親友のジェームス・ウェインが笑いながら話し掛けてきた。彼は彼で、化学の授業でもないのに白衣を引っ掛け、眩しいものなどないのにサングラスをかけるというかなり場違い…というよりは勘違いしているとしか思えない姿をしていた。
 彼のこのファッションは毎度のことで、「良識ある」講師たちからはよく睨まれている。匠もジェームスとの付き合いがかなり長いのだが、彼のこのセンスについては未だに理解できていない。わかっているのは、このファッションのことで彼に何を言ってもムダだということだけだ。
「眠くなるものはしょうがないだろ」
 匠はぶっきらぼうに答えた。
「眠気を忘れるほど面白い授業でもなかったしな」
「授業内容より小言の方が多いからなぁ、あのおっさん。でもそんなところで堂々と寝られるお前も、相当なもんだと思うぜ」
「『最近の学生は自分たちの世代と比べてどーのこーの』って愚痴ばかりを延々と聞かされ続けるくらいなら、寝ていた方が幸せになれるだろ。どう考えても」
 前の時間の講師は、授業時間がほとんど愚痴と小言で終わると評判だった。はっきり言って自習している方がマシなくらいだ、というのが大多数の学生の見解である。だがその割に試験が厳しく、単位をなかなか与えないため学生からは徹底的に嫌われている。
「単位もらえなくなるぜ、あいつの機嫌を損ねると」
「もういらねーや。他の単位で振替える。それはそうと、お前はどうなんだよ」
「悪いが、落とす気がしねえ」
 ジェームスはニヤリと笑ってみせた。
「少なくとも、教科書の内容ぐらいは大体覚えた。過去問もやってみたけど大体解ける。まあ余裕だな」
 得意気なジェームスを見て、匠は思わず苦笑いした。見かけによらず天才肌なのだ。
「一体何を食って育つと、そんなに頭が良くなりやがるんだ」
「天才ってのは、生まれつきなんだよ」
 ジェームスはいつもの決り文句を口にして、次の授業がある端末室の扉をくぐろうとした。

 その瞬間、照明が一斉に、一つ残らず消えた。
 同時に周辺のモニターが瞬間的なノイズの後全てブラックアウト。
 一瞬の静寂の後、辺りに響き渡る驚きの声、怒号、悲鳴…。

「おいおい、どうなってるんだコレは?」
 突然の出来事に、普段テンションの低い匠も驚きのあまり声が上ずっていた。照明器具が突然ブラックアウトしたため、窓のたいして多くないこの辺りの通路は突然の暗闇でパニック状態になりつつあった。
「送電システムにトラブルでも起こったか?」
「いや、なんだか様子が変だぜ…」
 暗くてよく見えなかったが、匠のすぐ横で、ジェームスは携帯端末を操作しているらしかった。だが普段ならバックライト照明が利いて明るく見えるはずのディスプレイに、まったく光が灯らない。
「オレの携帯端末までおかしくなってやがる。匠、お前のはどうだ」
「待ってろ、今見てみる」
 匠はすぐに上着の胸ポケットから小型ノートタイプの端末を取り出した。モニター部分をポップアップさせ、起動スイッチを押し込む。だが、普段ならすぐに起動画面が表示されるはずのモニターは、灯りを落としたまま沈黙を守っていた。
「…ダメだ、動かなくなってる。セフルモニタ機能まで死んでる」
「端末が死んだことが、照明が落ちたことと同期してるってことは…でかい電磁波で吹っ飛びでもしたってことか…」
 ジェームスはしばらく何かを考えていたが、やがて校舎の出入口に向かって歩き出した。もうここにいる意味は無いとでも言うかのように。
「おい、ジェームス?」
「帰ろうぜ匠。どうせこの後の講義は休講だ」
 ジェームスは怪訝な表情の匠を振り返り、飄々としたいつもの調子で言った。
「校舎全体がシステムダウン、しかもこの騒ぎじゃ、授業になるめえ」
 帰るベ帰るベと歩き出したジェームスを慌てて追おうと、匠は走り出した。

 その時、通路の数少ない小窓…そこから見える狭い空間の中に、何かが見えた。
 その姿は陽光に白く輝き、その背中には一対の大きな翼が確かに見えた。
 まるで天空から墜とされた天使のようなそのシルエットは、匠の中にある何かと激しく反応しながら結びつき…。

「空…翼…。あれは…何だ…!?」
 違う!俺はアレをよく知っている。アレは…俺の…。
「VR…バイパー2!」
 思わず匠は声に出して叫んでいた。それを聞きとがめたジェームスが目を丸くして「何ィ、バイパー2だと!?」と言ったが、それにも気がつかず、匠は走り出していた。
 駐輪場に置いてある、電動サポートの一切ない自分の自転車にまたがると、バイパーが落ちていった方向に全速力でペダルをこぎ出す。
 後ろから何かを叫びながらジェームスが追ってきているのに気が付くが、匠は振り向きもせず、ただひたすらに走り続けた。
 走りながら、最近彼自身がバイパーの姿を見たときのことを思い出していた。


 かつて極秘のうちに戦争に利用され、数年前の大戦役「OMG(オペレーション・ムーンゲート)」ではプレイヤーの精神を月で戦うバーチャロイドに接続する端末として機能したアーケードゲーム「バーチャロン」。
 その際の不安定な接続は、未自覚のうちに「徴兵」された多くのプレイヤー達の精神を著しく傷つけた。それ以来ゲーマーはもとより多くの市民達から忌み嫌われる存在である。
 しかしながら、未だに根強いファンも残っていて、極少数の店は今でも撤去せずに残している。
 匠達がよく学校帰りに立ち寄るこの店「吉田商店」もまた、そういった希少な店の一つだった。
 そして匠とジェームスは古くからの常連であり、OMGから生還した数少ないプレイヤーであり、「根強いファン」でもあった。

 ジェームスの操るミサイル装備の無骨な機体「ベルグドル」が、まるで幽霊のような動きでゆらりゆらりと近付いてくる。左右移動を中心とした、重量級とは思えないフットワーク。俗に「漕ぎ」といわれるテクニックだ。
 匠は自機バイパー2のブーストを起動。ベルグドルとすれ違うように高速移動を仕掛ける。反応したジェームスはナパームを放って進路を塞ごうとするが、匠はそれをジャンプでかわすと、空中で相手の背後に回り込み、近接戦闘を仕掛けた。
 バイパーの長いビームソードが背後からベルグドルを切り裂こうと迫る。
 ベルグドルはそれを間一髪ジャンプでかわすと、匠のバイパーと向かい合わせになるように着地する。返す刀で斬りかかるのを寸前でガードしたジェームスのベルグドルは、バイパーの斬撃が振り切られるよりも早く、猛然と左肩からぶちかましをかけてくる。
 匠はとっさにガードを入力し、直撃すれば致命傷にもなるショルダータックルをどうにか防ぐ。しかしジェームスは連続でタックルを繰り出し、斬撃が速さで負けることを知っている匠は防戦一方になってしまった。一度斜め後方にダッシュして間合いを離し、仕切りなおしをはかる。
 だがジェームスは間合いを離すまいとダッシュで突っ込んでくる。
 匠はその瞬間を待っていた。
 匠は全ての武器ゲージが100%になっているのを確認すると、バイパーをジャンプさせる。そして上昇中にレバーを前に倒し、両トリガーを押し込んだ。
 次の瞬間、バイパーの全身が光に包まれる。
 火の鳥のような姿で猛然と降下してきたバイパーは、ベルグドルの放ったミサイルを蹴散らし、その機体自体を砲弾と化して硬直中のベルグドルを吹き飛ばす。
 「S.L.C.ダイブ」。実在のバイパーにも装備されているという、捨て身の切り札。
 それが見事命中した瞬間、ベルグドルのエネルギーゲージは0になっていた。

 「You Win!」のアナウンスとともに、匠の画面にゲームオーバーが表示される。規定回数を勝ち抜いたための強制ゲームオーバーだ。精神が現実世界に無理やり戻されるような錯覚を覚えながら、匠はシートから立ち上がった。
 シートの後ろで、同時に席を立ったジェームスと顔を合わせる。匠に連敗したジェームスは、さすがに疲れた表情をしていた。
「オレもうダメ。SLC食らい過ぎ。つーか二択が避けられませーン。これが長年レバーを握ってきた男の戦いぶりかとオレは自分を問い詰めたい。小一時間」
「つーかお前はダッシュ攻撃をうかつなタイミングで出しすぎなんだ。だからSLC安定」
 ベンチにもたれかかって愚痴をこぼし始めたジェームスを強引に遮るように、匠は口を挟んだ。
「まあ、確かに長年やりこんだ人間の動きじゃないといえば、そうかもしれんわな」
 OMG以降バーチャロンプレイヤーは激減し、匠は多くのプレイヤーと対戦する機会が失われてしまっていた。ジェームスも同じ境遇だ。
 一応全世界の筐体同士がネットワーク接続されており、以前は望めば世界中どこのプレイヤーとも多対多のバトルを行うこともできた。今でも一応可能ではあるものの、昔のままの血気盛んなプレイヤーはもう当時の一握りも残っていない。
「いろいろな強い人と戦わないと、進歩しようがないもんなぁ」
 まあ仕方がないっちゃ仕方がない、とぼやきながら匠は自販機にコインを放り込んだ。コーヒー飲料を取り出し、ジェームスの横に腰掛けてあおる。
「しっかし、お前いつからバイパー乗りになったんだっけな」
 紅茶党で猫舌のジェームスが、レモンティーをちびちびとやりながら言った。
「OMGの辺りまでは、確かテムジンだったよな。オレはあの時からベルグドルだったけど」
「OMG直前からだ」

 あの頃から、俺は翼が欲しくなったんだ。
 そして、空を自在に飛びまわれるバイパーという機体に惹かれた…。

「しばらくあの装甲の薄さに慣れなくて、OMGではお前にずいぶん迷惑をかけたもんだが」
「確かに目の前で大破しかけたときにはビビったな。このヘタクソと思ったぜ」
 笑いながら言うジェームスに、匠は苦笑を返した。
「でも、極限状態で急に機体と一体になるような感じがあって、気が付いたらまるでバイパーを自分の体みたいに動かせてた。おまけに敵機の動きが手にとるようにわかるようになったっけか…」
 後にその作用が、VRに搭載された戦闘用OS「M.S.B.S.」によるものだと知った。だがほとんどのパイロットは、M.S.B.S.の力をそこまで引き出すことができないのが普通だという。
 匠とジェームスは、そのうちに秘められた力−バーチャロン・ポジティブ−のおかげでM.S.B.S.のパフォーマンスを最大限に引き出し、精神を失うことなく生還した。

 そして、類稀なバーチャロン・ポジティブによってバイパーと完全に一体化した匠の精神は、あの時月面の空を、バイパーとともに確かに飛翔していたのだ。
 モニター越しにシミュレーターのVRを操るのとは全く異質の、圧倒的開放感。
 忘れたくても忘れられない、あの時の気持ち。

「またいつか、ああやって空を飛んでみたいもんだ」
 思わず口を突いたこの言葉を、あの時ジェームスは笑ったものだが、匠は全然気にしなかった。
 まぎれもなく、それは本心だったから。


「…何でこんなところに、VRが落ちてくるんだ!」
 自身も自転車で追いついてきたジェームスが、息も絶え絶えになりながら毒づいた。
「ここはレンタリア(戦場指定区域)じゃないだろうが!」
 軍人と一般人を完全に区別したこの世界では、一般にVR戦を含めた戦闘行為は、レンタリアに限って行うことを許される。匠達のいる一般居住区にVRが現れることは、常識ではありえない。
「いや、この辺は割りと近くまでレンタリアが広がっているからな…!何かの拍子にエリアの外に出ちまったってこともあるんじゃないか!?」
「本当かよ!?」
 ジェームスから、まだ信じられないというような声が返ってくる。確かに普通ならそう思うだろう。だが。
「現にあいつは確かにバイパーだ!」
 見間違いようなどない。
 そしてその姿は、匠の中にうまく表現できない何かを絶え間なく生み出し続ける。その何かに後押しされるかのように、匠はひたすら走りつづける。
 もうどのくらい走ったか。
 しばらく徐々に高度を落としながらも空を漂っていたバイパーは、やがて力尽きたかのように森の中へと落ちていった。
 その姿はまるで、昔からの親友が今にも死んでいくような…。
 匠の中で、何かが爆発した。
 自分でもわけのわからない声をあげながら、匠は電子機器が全滅した街を疾風の如く駆け抜ける。


 バイパーのモニターは完全に死んでいたはずだった。
 それどころか、自分自身の目ももうほとんど見えなくなっている。体のどこかから温かいものが溢れだし、同時に自分の体がどんどん冷えていくのをはっきりと感じていた。
 彼は自分の命が長くないことを悟ると、震える手でコクピットハッチの解放スイッチを操作した。せめて死ぬ時には、太陽の光を感じながら死にたい思っていたから。
 バシュッと音を立てて、バイパーのコクピットハッチが開く。
 もう像を結ぶことができなくなった目だが、光を感じることはまだできたらしい。かすかに白く染まる視界。彼は満足したように微笑を浮かべる。
 …これでいい。このまま、僕は空に帰ろう…。
 そう思って目を閉じようとした時、突然警報音が鳴り響いた。まだ生きていた音声アナウンスが彼に告げる。所属及び意図不明な人間サイズの物体が接近。M.S.B.S.戦闘モード再起動。パイロットとのマインドコネクト再開。
 …待ってくれ、僕はもう…。
 戦いたくない、と声にならない叫びを上げた彼の願いは、しかし叶わなかった。
 空へと帰るはずだった彼の魂は、強い力でバイパーの中枢−Vディスクの中へと引き込まれていった。


 息も絶え絶えになりながら、匠とジェームスはその白い巨人を見上げていた。
 森の緑の中で、木にもたれかかって空を仰ぐような姿で動かなくなっている白いバイパーのその前で、匠はただ、声も出せずに立ち尽くしていた。
「…あまり、ここには長居しない方がいいぜ。尋問だのなんだのと、面倒なことになっちまう」
 ジェームスは早く帰るように匠をせかしたが、匠は何を言ってもただこう返すだけだった。
 「すまん、もう少しだけ、ここにこうしていさせてくれ…」と。
 どうしても、すぐに帰りたくはなかった。
 まるで目の前のバイパーが、何か大きな束縛から逃げ出してきて、ようやくこの新天地で安堵しているように見えたから。
 完全に心奪われていた彼は、ポケットに入れた携帯端末がかすかな光を発したことになど、気がつく由もなかった。


 電脳虚数空間から小窓を通して、フェイ・イェンは現実世界を眺めていた。
 そのビジョンの中で、Vディスクが精神を吸収するのを見届けた彼女は、これから起こるであろう面倒事を想像し溜息を漏らした。
「あんまり、現実空間には干渉したくないんだけどなぁ…」
 そうぼやきながらも、彼女はこれからどう動くかを考え始めていた。そして「物語」のキーパーソンとなるであろう人物の名前を心に刻む。
「ジェームス・ウェインと…相澤匠か…」

<続く>


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