その銀色の円盤は、ただひたすらに待ち続けていた。
肉体を失い、意識を現実空間と切り離されてから幾星霜…再びもとの世界に受肉し、友と語り合うことのできる日を、ただひたすらに待ち続けた。
円盤は、友を信じていた。
友は、かつての肉体が滅び去り、本体たる銀の円盤だけが救い出された時−最後の知覚が消滅する寸前に、ある約束を交わしていた。
今でもはっきりと、思い出せる。
「いつか必ず、直してみせるから!」
その単純な一言を聞いたとき、表情を持たない機械の体を持つ自分が、確かに笑った気がして…そして眠りに落ちていったのだ。いつ覚めるとも知れない眠りに。
孤独な眠りは、しかし不思議と寂しくはなかった。
友がくれた思い出が、円盤の心を癒し、支え続けてくれていた。
どのくらい長く眠っていたのだろうか。
誰もいないはずの空間に、唐突に何者かの気配が生まれた。
「こんにちは。…久しぶりね、よく休めた?」
これも久しぶりに聞く声だ、と円盤は懐かしく思った。意識を集中すると、その気配は円盤が予想していたとおりの姿…長い髪を頭の両側に流した、14歳の活発そうな少女の姿を結んだ。
実に久しぶりの他者との交流。円盤はしばらく昔を思い出しながら、じっと少女の姿を見つめていた。
「な、なによじろじろと…」
少女は戸惑いながら、自分の体を隠すようなしぐさをする。円盤はそのしぐさに笑いがこみ上げてくるのを感じた。ひとしきり笑ってから、言葉をようやく思い出したかのように、円盤は少女に語りかける。
「はは、すまない。他の人と関りあうのはずいぶん久しぶりなものでね…」
「ん、もう!これだから電脳ヒッキーって嫌なのよう!」
少女がわめき散らすと、円盤はまた笑い出した。
笑うのが楽しくて仕方がなかった。
「…あんたがそんなに笑い上戸だとは知らなかったわよ」
「ははは…僕も知らなかった」
少女はしばらくむくれたフリををしていたが、やがてコホンとわざとらしい咳払いをすると、
「今日は残念なお知らせをしに来たの」
深刻そうな表情でそう言った。
円盤の中から、笑いが一瞬にして消え去る。一転してピンと張り詰めた気配を漂わせ、円盤は少女の言葉の続きを待つ。
「…実はね…」
さも言いにくそうに、切り出す少女。彼女はしばらく迷ったかのように口をつぐむが、やがて意を決したかのように顔を上げる。そのしぐさに、思わず円盤は意識を引かれてしまう。
円盤にとって永劫にも等しい刹那の後、
「あんたのその長い休暇、そろそろ終わりになりそうなのよね」
彼女−フェイ・イェンはそう言って、ニヤリと笑った。
かつての友の意識が封じられている銀色の円盤「Vディスク」。それを封入した機械の箱「Vコンバーター」に次々にエネルギーチューブが接続されていくのを、その男・相澤匠は神妙な面持ちで見守っていた。
匠は長い年月をかけて、友と再会するために必要な技術を学んできた。現在では第六プラント「サッチェル・マウス」の有能な若手技術者として、人型兵器「バーチャロイド」の開発に携わる身である。
研究面で今までに様々な功績を出した彼は、今では相当な予算を必要とする実験も比較的自由に行うことが出来るようになっていた。
「よう、見にきたぜ」
背後からかけられた声に振り向くと、そこには同僚の技術者であるジェームス・ウェインがいた。専門学校時代からの長い付き合いだが、そのころから続いている、白衣を着崩しぼさぼさの長髪にサングラスという容貌はいつ見ても胡散臭い。彼はブラックコーヒーの入ったビーカーそっくりのカップを片手に、匠の横へと立った。
「いよいよだな、あいつとの再会は」
「ああ…長かった」
匠の脳裏に、ここに至るまでの長い年月がフラッシュバックしてきた。
もう8年も前、機械の体を持った「友」は、彼とジェームスを守るために戦い、その肉体を失った。その時、彼は約束した。「必ず直してみせる」と。
専門学校を卒業した後、彼らは揃って第六プラントに入った。そこでの技術者としての仕事の中から、匠は必死になって「友」を蘇らせるための様々な技術を学んでいった。
実に、8年。
匠にとっては長い8年だった。それが今、ようやく結実しようとしている。
ふと横を見ると。ジェームスは食い入るように、Vコンバーターの様子を見守っている。
「確か、お前がこの道に進むきっかけになったのも、あいつなんだったな」
匠がジェームスに言うと、彼はまだ湯気を立てるコーヒーを一口飲んだ。サングラスが湯気で曇り、彼の表情はますますわからなくなった。
「オレは単純に動くバーチャロイドに魅せられて、それを自分で作ってみたくなっただけだ。ま、実際にバーチャロイドが目の前で動き回るのを見たのはあれが初めてだったわけだが」
女々しいてめーとは違うんだ、と悪態をつきながらまたコーヒーをあおる。
だが、この男の協力がなければ、そもそもこの実験の予算が得られたかどうか。そのことを知っている匠は足元に置いたバックから冷えた缶ビールを二本取り出し、片方をジェームスに差し出した。
「準備がいいな」
コーヒーを一気に空にしたジェームスが、缶を受け取る。
「祝杯というには、ささやか過ぎる気もするけどな」
匠は苦笑いして答えた。
「もっとも、この実験がうまくいくかどうかがまず問題だがね」
匠は神妙な面持ちになった。Vディスクに負荷をかけ、バーチャロイドを実体化させるプロセス「リバースコンバート」には、莫大なエネルギーを必要とする。当然それに伴う予算も膨大なものであり、一介の技術者がそうそうできる実験ではない。
もし今回失敗したら、次のチャンスがいつになるかまったく見当もつかない。最悪二度と出来ない可能性もある。そう思うと、匠はいてもたってもいられなかった。
ジェームスはそんな匠の様子を見てか、軽い口調で言った。
「失敗は、まずあり得んだろうよ。なにしろ『彼女』が力を貸してくれるって言うんだぜ?」
やがて、その時がきた。
「リバースコンバート、開始します」というアナウンスとともに、莫大なエネルギーがチューブを伝わってVコンバーターへと流れ込む。
封入されたVディスクが咆哮を上げながら高速回転する様子を、匠はジェームスとともに固唾を飲んで見守っていた。
「来たみたいよ」
フェイ・イェンが指差した方向に光の渦が生まれつつあった。その渦の形は次第に大きく、はっきりとしていく。
フェイは円盤の体を右手に持ち、その渦の方へと飛翔する。渦の姿がどんどん大きくなり、やがてその中心にぽっかりと大きな穴が空いているのがわかるほどに近づいた。
「この先に、あなたを待っている人がいるわ」
フェイはそう言って、円盤の体を離した。そのまま外まで連れ出してもらえるものと思っていた円盤は、肩透かしを食らったように呆然とする。
「なにぼーっとしてんのよ。まさかあんた、この先まで連れて行ってもらえるとでも思っていたわけ?」
「…違うのかい?」
戸惑いの色を隠せない円盤の声を聞いて、フェイは苦笑いを浮かべた。
「あんた、自分が何だと思っているの?もう普通のバーチャロイドでも、ましてそれ以前にそうだった、『人間』でもないの。もうあたしや姉様と同じ存在に進化しているのよ。
だから、一人でも大丈夫なはず。
逆に言えば、この程度も出来ないようなら、復活できたところで普通のバーチャロイドにしかなれないわよ。最悪、意志をもたないデータの部分だけが実体化して終了。向こうに帰れるのは抜け殻だけ。…それでもいいの?
根性見せて見なさいな。その魂を向こうまで持っていくのはあんた自身。それにはあたしは手を貸せないのよ」
最後の方では、フェイは真剣な眼差しで円盤のほうを見つめていた。
彼女はその眼差しで、言葉以上のことを円盤に語っていた。
匠とともに過ごす力を得たいのなら、この試練に打ち勝って見せろ、と。
「わかった。僕はここから先は一人で行く」
円盤は意を決した。そして先へと進む力を得るべく、かつての肉体のイメージを構成する。
限界まで絞り込まれた細身の機体、そしてその背中に備わる一対の翼を。
戦術偵察バーチャロイド、TRV-06k「バイパー2」。
そのイメージは、ここ「電脳虚数空間」での実体をなした。
「ありがとうフェイ・イェン。頑張ってみるよ。僕はこの渦を自力で抜けて、匠の所まで辿り着いてみせる」
「おう、頑張れよ!」
その言葉を聞いたフェイは晴れやかな笑顔を浮かべた。
「ちゃんと匠クンに言ってやるんだぞ!『ただいま』って!」
「それから」
円盤−バイパー2は一度だけ振り返り、フェイに向かって言った。
「向こうでまた話をしよう。君とも話したいことが、まだ一杯あるんだ」
「実体化が始まったぞ!」
ジェームスが叫んだ。匠はモニターにかじり付くようにその様子を見守る。
Vコンバーターを中心に、徐々に虚空から何かが実体化してくる。
最初おぼろげで、まるで蜃気楼か影のようなものだったそれは、時間が経つにつれて少しずつ輪郭がはっきりとしてくる。やがてそのシルエットは、全長10数メートルの機械の巨人の姿をとった。
第一世代型戦術偵察バーチャロイド・バイパー2。
もはや戦線から引退して久しい旧型機が、8年前のあの時の姿そのままで彼らの目の前にあった。
「機体は実体化できたようだな!」
ジェームスが喝采を上げる。だが、匠はその神妙な面持ちを崩さなかった。
「まだだ…あいつの意識までリバースコンバートできたかどうかわからん」
意識がもし戻らなければ、友は…バイパーは帰ってこない。実験は失敗に終わり、俺はバイパーとの約束を果たせずに終わってしまう。
匠は神を信じてはいなかった。だが、今は何かに祈らずにはいられない心境だった。
誰でもいい。俺の友を呼び戻してくれ!
頼む!
「リバースコンバート、全プロセス終了しました」
モニター室に無機質なアナウンスが響く。
匠は思わず走り出した。幾つもの扉をくぐり、バイパー2の機体へと駆け寄る。
実体化を終えた機体は、「ただのバーチャロイド」だった。
様々なセンサーでモニターしてはいたが、あの時のように意志をもっている様子が全くみられなかったのだ。
匠にはそれが信じられなかった。信じる事などできなかった。作業員達の制止を振り切り、かれは8年前に見たのと全く同じ白いバイパーの機体にすがりついた。
まだ実体化を終えたばかりの機体は、その余剰熱で焼けた鉄板のようだった。激痛が走り、皮膚が焦げる嫌な臭いがあたりに充満する。だが匠は手が焼け爛れるのにも構わず、電脳虚数空間まで届けとばかりに絶叫する。
「頼む、帰ってきてくれバイパー!俺はお前とまた話がしたい!また一緒に空を飛びたいんだ!今帰ってこないと、もうチャンスがないかもしれない!二度とお前に会えなくなるなんて嫌だ!
頼む…帰ってきてくれ!お願いだ…!」
辺りをはばからず、泣き崩れる匠。
「…ただいま…」
突然、バイパー2の機体がまばゆい光を放ち始めた。
その圧力に弾き飛ばされる匠。駆け寄ったジェームスに助け起こされながら、彼は信じられない光景を目の当たりにした。
光の中で、完全に実体化したはずの機体の輪郭が、再びおぼろげになっていく。
それとともに全体の大きさが徐々に小さくなっていき、フォルムも戦闘兵器然としたそれからまるで人間のような柔らかなフォルムへと変化していった。
「こいつは…リアルタイム・リバースコンバートだ」
ジェームスが呆然とつぶやいた。
「フェイが人間形態になるのと同じ現象だ!」
「それじゃ、バイパーは…」
その先を口にする必要はなかった。
光の中で、バイパーは一人の少年に変化していた。少女のような華奢な体に柔らかな微笑を浮かべたその少年は、光が収まった後、涙を浮かべ、匠に向かって確かにこう言った。
「…ただいま!」と。
<続く>