【黒い雪】第一話 邂逅


 一人の青年将校が草木も生えない小さな丘から不毛な大地を見下ろして居た。
少し離れた場所には巨大な人影、VRが立ち並ぶ。其処に一人の少女が空間からいきなり現れた。
 その出来事に青年は意に介さず、赤い砂漠を見続ける。
「何故? 貴方はそう平然として居られるのですか? この世界は貴方の居る場所とは違うのですよ」
その言葉にヨッシー准尉は顔を上げた。その先には青色の髪を頭の後ろで括った少女が其処に佇んで居る。彼女の服装は魔法使いの様でこの時代には奇怪な服だ。
「別に平然としてる訳じゃないがな。ただ慌ててもどうなるモノでも無いだろ」
彼は少女の言葉に肩を竦めた。
「どうなるものでも無い‥‥‥ですか?」
少女は端正な眉毛を持ち上げ、彼の隣に座り込んだ。
その表情は遠く昔の出来事を噛み締めるが如く、思い出している様に見える。
「あれから2年か。時の立つのは早いな。まるで生まれ落ちたのがこの世界だったとさえ思うよ」
「わたしはあの日の事は忘れませんよ。いえ、忘れる事が出来ないのです。突如として、現実空間に実体化した妹の勧告。その事実を知ったあの子の震えるような表情。
海に投げ出された貴方の目。こんな結果を誰が予想したでしょうか」
少女は天を仰ぎ、髪が風に揺れる。
「あの時の事か。覚えてるよ。もうろうとした意識の中で白い羽を持った大きな人影に慈しむ様に救い上げられたのを」
ヨッシー准尉は瞼を閉じて、感慨にふける。
 その脳裏に映し出された光景は透き通る藍に支配された中で、ヴァルハラに召される戦士の魂を包み込む戦乙女に抱き抱えられるように純白の羽を持った天使に青年は拾い上げられた。
 その余韻に浸る間も無く、ヨッシー准尉は隣で足を抱えて座る少女に問う。
「あの時の事、聞いてなかったね。‥‥教えてくれないか?」
「構いませんよ。貴方の頼みならば‥‥わたしは貴方を潰さないように、手放さないように貴方を、リベエラに運び入れました」
少女は遠き過去へ立ち戻る儀式の様に赤い空を見上げた。

 ホワイトアウトが起こったかの如く、自分が何処に立って居るかすらも分からなくなる程の白い部屋の一角、白いベットの上に先程、運び入れられた青年が寝かされていた。
 彼の周囲には医者と看護婦と思われる人物が引っ切りなしに慌ただしく処置を行っている。
 その対象者を持ち前の慈悲で拾い上げた少女は杖を両手で抱えるように持ち、ただ静かに傍観者としてその様を目に焼き付けて居た。
 彼女や彼女の妹が支配する組織が現状で発見し、他世界から転送され、この世界で実体化した人々の一部は回収し終わって居るが、その殆どは外傷無しに息絶えていた。
 その有り様はVC9f年のSBRVの悪夢を思い出される。
 生存していると思しき人物の大半は各地に散らばり、その殆どは他の組織に回収されてしまい、中にはこのFR−08に敵対するRNAやTSCドライメンの名前も在った。
 自陣営の組織も在るが、それを追求した所で彼らの望む結果にはならないだろう。
ここに寝かされている青年は道端に落ちて居る石ですらも無く、そう彼らは限定戦争の兵士以下、意志を持った物体に過ぎないのだ。
 この出来事は後に異世界から来た彼らを【エトランゼ】と呼称する【エトランゼ事件】の幕開けだった。
 杖を持った少女はそんな状況を察しているのか、憐れみや同情、いや、それを越えた慈しみがその瞳に溢れている。
 それは自分と同じ存在に対する念なのだろうか?
 医療班の慌ただしさが台風の目に入った時、自動ドアが開き、紫色のドレスに身を包んだ一人の少女が取り巻きを連れ、集中治療室に入って来た。彼女は大貴族が誇る深窓の才媛の如く、その動きに一糸の乱れも無い。
 取り巻きは第8艦隊に所属する最強の精鋭ホワイトフリートの騎士達だ。その中には地球圏最強のVRのパイロットであるインター・バスケスと呼ばれる男の姿も在った。
 この一件で回収にあたった他の組織、所属VRとの戦闘、及び、偶発したシャドウのVRに対する対処は熾烈を極めたと容易に推測出来る。
 彼女の姿を見て、医療班は舞台役者かと思わせるように主たる少女に恭しく一礼をし、統制の取れた動きで集中治療室を出て行った。
 彼女はそれをオペラの特別観客席から眺めるようにそれを見送る。
 だが、その容姿と裏腹、絹糸を織るが如く、紡ぎ出された言葉は冷淡な、しかし、確実な叱咤だった。
「アイスドール。回収出来たのは17人だけですか?」
「‥‥‥少なくとも60人は居たと思いますが?」
アイスドールと呼ばれた杖を持った少女は自分の分身達が拾い集めた情報の断片をパズルの様に組み合わせ、静かにそして、他人行儀で問いに答えた。
「大半は死にました。9f年の事件と同様に」
才気溢れる天才少女の瞳には微かな怒気が宿る。だが、アイスドールが返した答えは沈黙という返事だった。彼女の取り巻きに波のように動揺が広がる。
 確かに彼女のせいでは無いのでどうしようも無いし、答えを返す事など出来よう筈もない。
「彼らはどうするつもりですかな? 我が長」
取り巻きの中の老人が敬いながら、プラジナーに問う。
 彼女は自分を両手で抱く様にして、自らを支えながら、唇を震わせながら、言葉を断頭台から落ちる刃の様に滑らせた。
そして、断罪するか如く、リリン・プラジナーは告げた。
「もしも、彼らがシャドウの使いならば、か、影は、か、輝きの中に滅するべきです。アジムと同じく、CISを経由した影は討つべきです」
影に対する過度の恐怖心が生み出した言葉はいつものリリンの言葉とは思えない程、遠かった。
 FR−08の長たる少女の剣呑な意志を感じたアイスドールいや、エンジェランは青年とリリンの間に両手を水平に伸ばし、割って入った。
 その姿は神でさえも己が職務を阻む事を決して許さない天使の姿とダブって見える。
「門番たる者が何を考えているのですか? それを駆逐するのが貴女の役目では‥」
「彼が、彼らが敵だと判明した訳では有りません。これは、この問題はわたしがお父様から与えられた使命。わたしが判断する事です」
「一度はこの世界を捨てようとした氷の人形が何を勝手な─」
リリンは凛然とした態度を取るエンジェランに対して、拳を無意識に握りながら、消え入る声で呟いた。後半は口の中だけで他の人間には聞き取る事が出来なかった。
 その言葉に一度は投げ出してしまいそうになった意志を瞬時に取り戻し、エンジェランは返報した。
「わたしは貴女の力になる為にここに居ます。でも、それはお父様の意志を叶える為、居るのです。リリン。貴女が暴挙を行うのを指を銜えて見て居る訳には参りません」
「‥‥‥姉さん。貴女に、人の器で無い貴女に私の理想を介して貰おうなどとは思って居ません」
「そ、そんな事、言うもんじゃない。考える事が出来る以上、相手は傷付く」
ベットに横たわって居た人物が目を覚ました。
一斉に視線が彼へと移る。まだ、焦点が有って無いらしく、その左手は空中を動く。
 エンジェランはすかさずその手を両手で慈しむように包み込む。その動作は慈愛という華が今、花開いたようにさえ思えた。
「貴方の名前は?」
「‥‥‥ヨッシー・アーキー(吉井秋)。ここは? 海に居たんじゃ、無いのか」
エンジェランの慈しみの満ちた声に安堵したのか、単なる疲労のせいなのか、青年は昏倒した。
 彼女は昏倒した彼の両腕をゆっくりと両手で布団の中に入れた。
「精神状態も正常そうね。これで何人目?」
リリンの瞳には既に恐怖も無く、商人として、体制者としての表情が浮かんでいる。
「3人目です」
ホワイトフリートの騎士が答える。
「オリジナル。彼は我らが調べます。よろしいでしょうか?」
その声に敵が現れたか如く、リリンは磁石が反発するように後ろを振り向く。
 振り向いた先にはリリンに似た容姿を持った15歳程度の少女が其処に立っていた。
その少女の名前はアリア。
 FR−08の前体制者トリストラム・リフォーがリリン・プラジナーの細胞から作り出した生体アンドロイド。或いはプラジナー博士の精子を組み合わせて生み出されたリリンの実姉と言われているが詳細は誰にも解らない。
だが、リリンとは対照的に黒いドレスを着込み、このホワイトアウトの中でただ一つの、いや、この部屋の闇、全てを集めた存在にも見える。
 それはまるで黒い太陽、日食時に見える金環食の光が其処に生み出されたような錯覚さえも覚えた。全てはこの部屋の白が生み出し、光沢だというのに─
「貴女に任せましょう」
リリンはその厳かに告げた。だが、その声のトーンには敵意と嫉妬。そして、羨望が微かに混じっていた。
 リリンはアリアの隣を擦り抜け、騎士達と供に病室を出て行った。黒き少女も離れて後に続く。
 最後に残されたエンジェランはヨッシーに向かって、呟いた。
「CISの向こう側から来たモノが全て、貴方みたいな人なら良いのに」
その言葉をタンポポの種子の様に残して、彼女は集中治療室から出て、医師団が入れ替わりに中へ入って行った。

「あの時の言葉は忘れられません。貴方の言葉はわたしの心の中の宝箱に大事にしまって有るんです。だって、わたしが氷の中から出て、初めての楽しい思い出ですから」
エンジェランは頬をほんのりと赤く染め、無垢な少女の微笑みを浮かべる。
「あの言葉だけは不思議と覚えてる。そう思ってくれると嬉しいよ。でも、俺はただ、あらゆるモノに当てはまる事を言っただけだよ」
視線に耐えられなくなったヨッシー准尉は口を尖らせて、強引に照れた顔を隠した。
 とても、20代の男がするべき事では無い。せいぜい12歳位の子供がする事だ。
だが、それを少女は気にした風も無く、笑いを堪えながら立ち上がった。
 そして、厳かに告げる。
「ヨッシーさんには死んで欲しくありません。貴方は絶望の果てから来た希望の灯火なのだから。だから、貴方に今のわたしを捧げます」
「?」
「貴方に司令部より、実験機ですが、第三世代のテムジンJ/Sを持って来ました。これで少しは戦力アップに繋がります」
その言葉と同時に空間が光り、VRらしき影が実体化した。
 テムジンは左腕に小さな盾のような形状のモノを装備している。
准尉は思わず、それを見て立ち上がった。
「説明はコクピットのコンピュータにインストールされて居ます。近いうちにまた、お会いしましょう。ヨッシー准尉」
「ああ。またな、エンちゃん」
ヨッシー准尉が手を振ると同時にエンジェランは深々と一礼し、虚空に消えた。
[続く]


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