【1】
VCa4年末 白檀の間 PM11:23
夜の帳に覆われた純白の空間に静寂の調べに協奏するが如く、乱れ無きクラシックと思しき曲が飾る。
ここの主であるリリン・プラジナーの意図では無い。
優しい月明かりに照らし出された招かざる客である一人の女性の好みにより奏でられている。だが、その周囲にオーディオの類いは一切見当たらず、それは何もない空間から聞こえてくるとしか、表現しようがない。
客人の容姿は腰までの黒髪、舞台役者の塗る濃く血の様に赤い口紅。綺麗に整った鼻筋。だが、その印象は薄い。いや、人為的に化粧などで特徴を際立たせ、人の記憶に残らないようにしていると容易に推測できた。
その女はただ、瞼を綴じ、玉座周辺にある小さな階段に腰掛け、目的の人物が現れるのをひたすら待って居た。
其処に小さな影が照らし出される。リリン・プラジナーだ。
彼女の取り巻きは居らず、その身をウエディングドレスかと見間違えるような純白のドレスを着用していた。その様は光を纏うが如く輝き、周囲の闇を染め変えるようにも思えた。
「クラシックですか? 穏やかな曲ですね。しかし、貴女は誰です?」
リリンは細長い眉毛を微かに動かした。本人は意識していないが、恐怖に因るモノだ。
対照的に女は神話に登場するような幾千の夜(よ)の闇を吸収して生み出された黒い瞳を瞼から解き放ち、自分の待ち人を見た。
「あら? フレッシュ・リフォーの長は基本的な礼儀すら知らないのかしら? 人の名前を聞くときは自分から名乗るモノでは?」
招かざる客人は闇に同化しながら、歌を口ずさむように答えた。
口の端は明らかに嘲笑の形をとっている。
「私をここで待って居た。誰の差し金です? 答えなさい!」
「悪いけど、私は貴女を殺して差し上げるほど、優しくないの。
ここに来たのは教えて差し上げるために。そう、天才少女たる君にね」
怒声を上げる少女に闇を纏う魔女は吟遊詩人の様に謳う。
女の声は美しく響き、天使の歌声かと思わせるが、それは悪魔の囁きだ。
それは恰も昼と夜。光と闇の対決のように。今まで幾千、幾万の物語がこれを書き、演じてきた事か。
それを示すように暗闇の中、リリン・プラジナーは白き衣服でプラチナのように輝き、対する魔女は周囲の闇を己に纏わり付かせ、月光で自分の闇を表現する。
「?」
リリン・プラジナーは怪訝な表情を浮かべた。
「私は思い知らせたい。
上から見下す事しか出来ない人間が世界を救う事など出来ない事を。
そして、世界を救うべくは手順を踏んだ破壊だと訴えたい」
玉座の前で闇の生み出せし魔女は両手を掲げ、天を仰ぎながら、傲然と呪詛の言葉を紡ぐ。その様は闇を束ねる皇たる赤く輝く月に生け贄を捧げる巫女の姿だった。
【2】
「まさか。貴女は‥‥‥トイフェリア?」
リリンの白い頬を氷河の氷よりも冷たい汗が伝う。
「ほう、私を知って居たのか。だが、私は貴様の血族ではない」
トイフェリアと呼ばれた女は実体化させた斬首刑に使用される切っ先の無い剣を左手に構え、光の盟主に向けた。
その構えには剣術的な側面から見れば、大した事は無いが、存在という観点から見れば、それは脅威と言える。
「騎士団長!」
白い衣服に身を包んだ騎士達数人が白檀の間になだれ込んで来る。
「ふっ。この白檀の間と言い、呆れる服のセンスだな」
トイフェリアは吹き出しそうになりながら、嘲(わら)った。
最後尾の老人が吠えた。
「トイフェリアか? 貴公、何をしに来た」
「ふん。レオニード・マシン卿か? まだ、存命して居たか。しかし、笑える。
今度は誰を抱き込む気だ? 8f年にお前が死んで居れば、今の世界は無かったかも知れないぞ」
トイフェリアはリリンに向けて居た視線には含まれなかった瘴気と形容すべき闇をマシン卿目がけて、弾丸のようにたたき込んだ。
マシン卿は床に跪き、脂汗を掻きながら、苦しそうに呻く。
リリンはその隣で呆然とトイフェリアを見つめて居る。それは差し詰め、夢遊病患者と表現できるか。
「貴様ぁ、マシン卿を愚弄するかぁ!」
若い騎士の一人が長剣を抜き放ち、トイフェリアに襲いかかった。
だが、トイフェリアの動きは素早かった。その行動の早さはこの光景をまるで歌劇か何かで見たが如く。
先程まで弛緩させていた全身の筋肉を叱咤し、襲いかかる騎士の突き出す剣を体の向きを横にして避け、自らが持つ斬首用剣の腹で相手の脇腹を強打。
騎士は堪らず、床に転がり、悶絶する。
続く騎士二人は左右から同時に上からの斬撃と横薙ぎを繰り出す。
しかし、トイフェリアは何かを口ずさみながら、上からの斬撃を刃を跨ぐように飛び込み前転。そして、迫る横薙ぎの剣を右手で踏み台にし、天女の如く、舞い上がり、騎士達の後ろに回り込み、振り向く騎士の肋骨の上を刃先で突き、その勢いを利用し、もう一人の首の根元を刃先で浅く抉った。
見る見る内に倒れた二人の血で白き床が赤く染め抜かれる。
トイフェリアは返り血を浴びながらもそれを気にした様子は無い。
それは役者が血糊を浴びた程にも感じて無いように見える。
だが、その右手の平には横に二本の線が入り、傷口がパックリと開き、血が零れ落ち、床を真紅に色を塗った。
それらが映画のフィルムの如く、呆然とするリリンの瞳に映り、彼女は口を開く。
「引っ掛かっていた。貴女の存在が。貴女は私の記憶の中に居た。遥か遠い昔に‥」
その瞳は未だに過去を映し、この場には戻って来ては居ない。
「知らない方が良い事も在るわ。例え、生まれた時から記憶が有る天才児と言えどもね。‥‥‥私の真の目的を達成させて貰う」
トイフェリアは再び、月明かりがスポットライトのように当たる玉座の前に移動し、背筋を伸ばし、歌うように高らかに宣言した。
その場に居た全員が劇でも見るが如く、トイフェリアに視線を奪われる。
「私は闇。闇にして祭壇たる存在(モノ)。我が望みしものは破壊。破壊とは全てを平らなる存在(モノ)へと帰す事。この愚かなる電脳暦の世界を破壊し尽くし、その果てに作り出された何者にも阻まれない地平。
そして、その中から生まれ出でる存在(モノ)が私の望み。
愚かなる者達よ! 阻止出来ると言うならば、やってみるが良い」
哄笑と共にトイフェリアは自らの事象を解き、電次元へと消えた。
「追いなさい! 負傷者達(マシン卿達)の手当。そして、血の分析を!」
それを見届けた瞬間、リリン・プラジナーは正気に戻り、騎士達に告げる。
『はい。我が長』
騎士達は急いでそれぞれの仕事に着いた。トイフェリアの血液の採取を試みる者、負傷者の手当にあたる者。苦しそうにするマシン卿に寄り添う者。
何かに気づいたリリンは玉座の近くに抜け落ちた黒髪を拾い上げる。
それは人が知識を持ってから、世界に溢れ続ける絶望を吸い尽くしたように漆黒に塗り込められていた。
「G線上のアリア。あの曲のタイトル。0プラントに父が居た頃、誰かが聞いていた。だから、私も覚えている」
記憶の糸を手繰ろうとすると、シンバルを鳴らしたように頭の中をかん高い音が響く中でリリンは頭を手で押さえながら、声を絞り出した。
「曲?でありますか? そんなモノは聞こえませんでした」
「そう」
リリンが思い出す事を止めた後、頭で響いていた音は消えた。
この場に流れて居たクラシックの曲も。